小学校2年生のときに戦争が始まりました。12月8日のことです。
以後毎年12月8日は大詔奉戴日ということで寒い講堂に整列しました。白手袋の教頭先生が黒塗盆を目の上に奉げ持ってしずしずと演台に進みます。校長先生がうやうやしく受け取り、巻物を読みはじめるのですが、小学生に内容はまったくわかりません。きつく指導されていますから、終わるまで頭を下げたまま。静まりかえった講堂に重々しい校長先生の声と、鼻をすすり上げる音が聞こえました。
「テンユウヲホユウシ バンセイイッケイノコウソヲフメル ワガ ダイニッポンテイコクテンノウハ」で始まり、・・・・・・・「ギョメイギョジ」で終わるのを待っていた覚えがあります。
小学校でも急速に雰囲気が変わり、国民学校と改称されてすべて号令で動くようになりました。担任の先生は中隊長、校長先生は大隊長です。 校門をくぐると先ず奉安殿に最敬礼してから校舎にはいり、「かしこくも」の言葉を聞くと即直立不動の姿勢をとるように訓練されていました。
「チンオモウニ ワガコウソコウソウ クニヲハジムルコト コウエンニ トクヲタツルコト シンコウナリ ワガシンミン ヨクチュウニ ヨクコウニ オクチョウココロヲイツニシテ・・・・・・・・・・・・ギョメイギョジ」の教育勅語を丸暗記する宿題もありました。出来なければ立たされますから、みな懸命に覚えたものです。 あの時代の子供たちは可哀相なくらいケナゲでマジメでした。
6年生のとき終戦になりましたが、それからの大人の変わり身の早さにも傷つきました。
奉安殿はたたき壊され、宝物と教えられていた教科書を墨で塗りつぶし、中隊長の先生は別人のようになりました。
普段は忘れている苦い思い出が他にもいくつかありますけれど、昨日12月8日の老二人の話題になりました。 もちろん楽しかったことも含めてですが、子供時代を振り返りながら改めて平和の有り難さを思い、それを脅かす雲行きを嘆き合いました。