12月8日と聞けばすぐ「大詔奉載日」につながる世代・・・・・
この日老二人のティータイムは戦中戦後の話題になります。
以前ブログ投稿したのを思い出して探したところ、2年前 と
3年前の 12月8日 に載せてあります。 並べて読むと毎年
同じような感想を 書いているのがわかります。子供心に強く
残っている事柄は忘れられません。
そして今日もまた、戦争のない世界平和 を念じました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2005年12月8日 LIz Blog (コピー)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小学校2年生のときに戦争が始まりました。12月8日のことです。
以後毎年12月8日は大詔奉戴日ということで寒い講堂に整列しました。
白手袋の教頭先生が黒塗盆を目の上に奉げ持ってしずしずと演台に進
みます。校長先生がうやうやしく受け取り、巻物を読みはじめるのですが、
小学生に内容はまったくわかりません。 きつく指導されていますから、
終わるまで頭を下げたまま。静まりかえった講堂に重々しい校長先生の
声と、鼻をすすり上げる音が聞こえました。 「テンユウヲホユウシ バン
セイイッケイノコウソヲフメル ワガ ダイニッポンテイコクテンノウハ」で
始まり、・・・・・「ギョメイギョジ」で終わるのを待っていた覚えがあります。
小学校でも急速に雰囲気が変わり、国民学校と改称されてすべて号令
で動くようになりました。担任の先生は中隊長、校長先生は大隊長です。
校門をくぐると先ず奉安殿に最敬礼してから校舎にはいり、「かしこくも」
の言葉を聞くと即直立不動の姿勢をとるように訓練されていました。
「チンオモウニ ワガコウソコウソウ クニヲハジムルコト コウエンニ
トクヲタツルコト シンコウナリ ワガシンミン ヨクチュウニ ヨクコウニ
オクチョウココロヲイツニシテ・・・・・・・・・・・ギョメイギョジ」の教育勅語を
丸暗記する宿題もありました。 出来なければ立たされますから、みな
懸命に覚えたものです。あの時代の子供たちは可哀相なくらいケナゲで
マジメでした。
6年生のとき終戦になりましたが、それからの大人の変わり身の早さに
も傷つきました。奉安殿はたたき壊され、宝物と教えられていた教科書
を墨で塗りつぶし、中隊長の先生は別人のようになりました。 普段は
忘れている苦い思い出が他にもいくつかありますけれど、昨日12月8日
の老二人の話題になりました。 もちろん楽しかったことも含めてですが、
子供時代を振り返りながら改めて平和の有り難さを思い、それを脅かす
雲行きを嘆き合いました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー.ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2006年12月8日 Liz Blog (コピー)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和16年12月8日は開戦の日です。
以後終戦まで毎月8日は大詔奉戴日の式があり、
真冬も火の気のない講堂で校長先生の捧げ持って読みあげ
る勅語を 頭を下げたまま聞きました。
「テンユウヲホユウシ バンセイイッケイノコウソヲフメル ダイ
ニッポン テイコクテンノウハ アキラカニ・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ギョメイギョジ 」
意味わからぬままギョメイギョジの言葉を待ちます。
終わって頭を上げると、一斉に鼻をすすり上げる音がしまし
た。 一日中台所に居て単純作業をしていますと、思い出す
のはあの頃の事。
小学校が国民学校になり、戦時色に染まった(染めさせら
れた)子供は戦後の大人の変わりようを受け止めかねてい
ましたが、戸惑いながらも 教科書に墨を塗り、180度転換
の授業を受けてきました。
毎年12月8日は苦いことを次々思い出します。
そして、平和の有り難さを改めて感ずる日でもあります。
4 件のコメント:
◇ こんにちは、暫らくです
でもHPともども見ております
今年も12月8日がやって来ました
最近物忘れが多いが、6拾数年前の
12月8日の事は鮮明に近く覚えて
ます。
Lizさんは毎年事細かに、 感動しました
今は「歴史を繰り返さない」よう祈ります
プログには時々お邪魔しますので
宜しくお願いします。
こんにちは
80bさんのブログにも書きましたが、
歴史を繰り返さないためにも
過去を語ってくださる方が必要です。
今はブログというそれぞれの意見を発表する機会もあります。
これからも語ってください。
でも思い出したくないとおっしゃる方もいらっしゃいます。だからお願いするのは遠慮してしまうのです。
私も国民学校に入学し3年生のときのこわい先生を思い出します、勅語を暗記させてつっかるとチョークが飛んできたり竹の棒でぶたれたり立たされたり、そのうち徴兵で学校から去るとクラスは半分に分解されて他のクラスに入れられました、そんな折兄も志願兵となって戦地に終戦の時は子供心に家にかえる道がわからなくなってるんだろうかなんて毎晩毎晩こころいためていたものでした。兄たちの犠牲のうえに今の平和があるんだってあたためて思い起こしました、ありがとうございます。感謝してすごします。
命の尊さ、平和の有難さ
月日が経つうちに忘れかけてしまう戦争の悲劇・・・戦争を知らない時代に育ちましたが、いつまでも語り継がれていかなければならない事だと思います。
コメントを投稿